古くは鶴峯山八幡宮(つるみねさんはちまんぐう)と、また明治6年(1873年)から昭和53年
(1978年)までは八幡神社と呼ばれていた。
推古天皇時代(592年〜628年)にも大地震があり、「鎮地大神」の親筆と宝剣「天晴彦」が奉
納された。また源頼朝が正妻政子の安産を祈願し白馬を奉納、徳川家康が社領を寄進し神殿を 造営するなど古来崇敬を集めている。1894年(明治27年)には明治天皇、常宮昌子内親王、周 宮房子内親王が参拝し社殿の前に松を御手植、神池に緋鯉を放生した。
旧社格は県社であったが、戦後神社本庁の別表神社に加えられた。
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