【第7代:在位:孝霊天皇元年1月12日(紀元前290年2月19日)- 同76年2月8日(紀元前215年3月27 日)】の皇子で、母は?某弟とされる。子に吉備武彦命、景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫、景行 皇妃の伊那毘若郎女がいる。吉備氏の祖。兄の吉備津彦命が四道将軍【大彦命(おおびこのみ こと)、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)、吉備津彦命(きびつひこのみこと)、丹波道主命 (たんばみちぬしのみこと)】に任命され、西道に赴いたとき、それに従う。その際香川県高松 市鬼無あるいは岡山県総社市鬼ノ城で百済の王子という温羅を討った伝説があり、桃太郎のモ デルといわれる。(鬼ノ城のほうについては兄の吉備津彦とされることの方が多い) |