[御嶽神社由緒]
奈良時代、御嶽信仰は吉野の金峰山を霊場とする山岳信仰に始まり、「金剛蔵王権現」を祭
神とする修験道は室町時代に全国に広まった。江戸時代になると修験者の移動が禁じられ各地 に定住し加持祈祷や安産祈願等をするようになった。従って当神社も室町時代頃に「蔵王権 現」を祭神とする「蔵王宮」といわれる神社が創建されたものと思われる。
堀四ヶ村(堀山下村、堀川村、堀斉藤村、堀沼城村)の鎮守として上社が堀の郷八幡宮(堀
山下の八幡神社)で下社が蔵王宮として信仰され、毎年祭典には堀の郷の氏子総代が参拝する 慣習が現在でも残されている。
明治維新の時に神仏分離令が出され、修験道が廃止され神道の国教化が進み廃仏毀釈運動が
高まり、明治六年、「日本武尊」を祭神とする御嶽神社と呼称されるようになり、村社に格付 けされた。さらに、明治末年には大森稲荷神社の祭神である宇迦之御魂命を県庁の指示により 合祀された。
以上
|