平成21年6月11日
小田原市城山一丁目
大稲荷神社
だいいなりじんじゃ
(だいなりさん)




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祭 神
田中大神(たなかのおおかみ )
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ )



[参拝の栞]
 大稲荷神社の由来伝記によれば、小田原城、北条時代に、修験者が旧竹ノ花地区内に修験堂
を建立した。武田家の臣曲渕氏が主家滅亡後、徳川家に随身。この地を釆地として賜り修験堂
に稲荷大明神をおまつりしたことに始まり、その後天正十八年(西暦一五九〇年)、初代大久
保忠世公小田原城主となり、京都伏見稲荷大社の最北座田中大神を合祀し、信仰ことに篤かっ
たが、子忠隣公の時に幕府の忌諱に触れ改易国替えとなりそれ以来永年に亙り祭祀するものも
無く荒廃にまかせた。
 貞享三年(西暦一六八六年)、忠朝公小田原に帰藩が許されその子忠増公の時に家臣清水氏
の息女並びに側近内芝氏に御神託あり、その御告に従い小田原城の鬼門除稲荷として再興した
ため、忠増公には老中執政職に昇進。その御神徳の崇高広大にしてそのあらたかさに恐懼感激
し、宝永三年五月(西暦一七〇六年)、現在地の谷津山に御社殿を造営せられたものである。
 
 ・宝永八年(西暦一七一一年)四月、正一位神位宣命、正一位大稲荷大明神と奉称
 ・同八年五月、忠増公は社領七十石寄進
 ・明治の御代には常宮昌子内親王(明治天皇第六皇女)、周宮房子内親王(明治天皇第七皇
女)の両殿下が御用邸御滞在の折にしばしば正式・略式の御参拝をせられ、社前の左右に夫々
松樹をお手植えせられた。
 ・元宮の神紋は行者輪宝で当地方唯一の春日造で屋根は檜皮葺である。その覆屋根は昭和六
十二年に銅板葺にした。
 以上


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撮影 P905i