平成21年7月5日
小田原市新屋
稲荷神社
いなりじんじゃ



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祭 神
           倉稲魂命  (うかのみたまのみこと)


[神社の縁起]
新編相模国風土記稿には、新屋村の鎮守は山王社と稲荷社の二社が合祀されていると記されて
います。
山王社については定かだはないが、新屋村づくりが一五四三年(天文一二年)頃で、当時開拓に従
事した小林、鍵和田、加藤の三家族により祀られたものと推定されます。
その后、小田原城主の北条氏が滅び、三河より大久保氏が城主となられた折、その従者(山口、小
林、村越、他)がこの地に入植し鎮守の神として一八二三年(文政六年二月)大久保公の菩提寺で
ある小田原旧茶畑、正恩寺を通じ京都伏見稲荷大社(元官幣大社)より、正一位稲荷五社大明神、
即ち「稲荷社本宮並びに摂社神号諸伝」によれば、御祭神
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神(さだひこのおおかみ)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)
田中大神(たなかのおおかみ)
四大神(しのおおかみ)
眷属(狐霊)
の安鎮を許容され御神璽を山王社と合祀されたのが現在の稲荷神社であります。
また壮重なる木製彫刻金粉吹付の扁額が授与され共に奉祀されています。
前記安鎮之コト及び稲荷社鎮守額の証は共に、“従四位上行伯耆守荷田宿弥信資”名により別
当正恩寺宛授与され、現在同寺に所蔵されております。
その后、京都伏見稲荷大社の所用のため使者が上京の折、京都市内に於て足に纏わる“宝子の
玉”を拾い上げ授かりものとして神社に祀り現存しております。
一名(お白狐様)と称し四年目毎の御開帳には落毛を魔除として氏子達に頒布しております。
斯様に由緒ある氏神様にして「稲荷谷饗記」によれば“衣食住ノ太祖ニシテ万民豊楽ノ神霊ナ
リ”所謂今日では商売繁昌、産業興隆、家内安全、交通安全、芸能上達の守護神として信仰されて
います。
以上
平成二年初午記述


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撮影 P905i